機械工学科の工業高専生が大学(旧帝大?)に編入を試みる日記

移転しました。

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福島での3月11日から3月11日

2011年3月11日
私は神戸大学にいた。
春休みに企画した関西一人旅兼大学見学だ。

近くにいた人が
「さっきの地震、宮城で震度7でここは震度3らしいよ」
「東北の地震がこっちまでくるとか、マグニチュードヤバいだろ(汗」
という会話をしているのを聞いて
あわててケータイで確認したところ、日本地図が震度を示す○で埋め尽くされているではないか。

家族に連絡したところ、母にだけ通じた
その後、自宅に連絡、弟と祖母は近所の人と避難して無事とのこと。
最後になぜか東京に来ていた父と電話が通じ家族全員の安否を確認。
そして、電話はここから福島につながらなくなる。

とりあえず京都のホテルに戻るとテレビでは、東北各地の被害状況が次々と伝えられている。
寝れたものではなかった。

ほとんど寝ずに翌日は、京都から福島へ帰る手段を探した。
東京から北へ行くのはまず無理らしい。

そして、福島第一原発1号機が水素爆発。
NHKを見ていたところ、爆発音がしてから1号機が骨組みだけになっているのが確認できた。
どういう爆発なのか、原子炉本体がやられていないか
もう福島に帰れないのか

確か、その3~4時間後のことである。政府が水素爆発だという公式発表をした。
正直言って遅いと思った。

その後はテレビを見ると、原発の話題で持ちきりだった。

「専門家」が原発について聞かれ色々と答えていた。
どうも学校で学んだ機械工学や原子力工学と言っていることが違う。
と思ったら、原子力の専門家ではなく、どこかの政治ジャーナリストではないか。
どのメディアでも同じような感じだった。
テレビ局はいったい何を考えているのか分からなかった。

国の対応もボロボロだった。
内閣の言うことは二転三転し、保安院や東電の会見もあいまいだった。
国民からは「何か隠しているのではないか」と思われても当然だと思った。
実際のところ全体を把握できている人材が無かっただけだと思う。

国民の政府やメディアへの信頼の崩壊である。


ホテルを出なければならなくなったので、とりあえず横浜へと移動。
親戚宅で数日お世話になる。

羽田から福島への直行便が飛ぶという情報が入った。
飛行機の予約をしてみようとネットを見たところ
数分で売り切れているようだ。まるで人気バンドのライブチケットのようだった。
羽田でキャンセル待ちしてみようということになったが
駅で数キロオーダーの列になっていたのでその日は諦めた。

翌日ひたすらANAのサイトで更新ボタンを押しまくっていた。
チケットが売りに出されたとたん頑張って購入した。
学校でブラインドタッチを叩きこまれてたのが幸いだったと思う。

数時間以内にコンビニで支払いしなければならなかったので、
コンビニへ行く。マイレージカードは置いていった。
するとマイレージカードの番号を支払い時に入力しなければならないではないかw
カードを取りに戻る時間は無かった。
記憶の底から10ケタの数字を思い出し入力した。
当たった。 
自分の記憶力に感謝した(笑)

3号機が爆発し、2号機も爆発した。
福島県内の空間放射線量が急上昇していることが報道された。
福島に帰るかどうか迷ったが、とりあえず帰ることにした。
羽田へ移動。飛行機に乗った。
放射線を恐れたのか、席はガラガラだった。

福島に付き自宅に戻った。
家はヒビだらけになっていた。
町が調査したところ「半壊」の診断を受けた。

学校は始まる気配はなかった。
原発が落ち着くまで何も出来ないらしい。
それどころか、福島を離れることになった友人が何人かいた。

結局学校が始まったのはゴールデンウィーク明けだった。
学校の授業などでも放射線についての話が沢山あった。
自分の積算被ばく量の概算などもレポートでやった。
自分の年間外部被ばく量は約1.8mSvであった。

友人たちは皆ボランティアに行っているようだった。
自分も行きたかったが、行く手段がなくて行けなかった。
地震直後は津波の死体運びをやった友人もいたようだ。

一方巷では、ノイローゼになった大人たちが原発の反対デモをやっていた。
意味の分からない福島県民差別もあった。
デマに惑わされて、全く意味の無い行動をしている大人たちを沢山見た。
がれきは未だに受け入れ先が見つからない。

すぐに原発は廃止できるものではないだろう。
友人たちとの会話でよく出てきた。
一番冷静だったのは自分たち10代の人間だったように思う。


私にはなぜか、原子力に関して勉強する機会が沢山あった。
学校が事故前からそういう方針をとっていたからだ。
講演会も原子力。
インターンシップも原子力。
研究室も原子力。
空間線量だけでなく、食品中の放射性物質量の測定なども研究室で出来た。
自分で情報の真偽が確かめられた。


2012年3月11日

思えばこの1年
「何が本当に信用できるのか」
ということが分かった1年であったと思う。

震災で亡くなった方々に対しご冥福をお祈りすると共に
自分を含め生き残った人間が、無くなった人の分まで
懸命に生きなければならないと感じています。


黙祷。
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